『人生を微分する』
人間というものは
意外なことを 鮮明に覚えているものである
高校生のとき 友人が唐突に
「『人生を微分する』とはどういう意味だ」
と聞いてきた
どうやら現代文の問題文に出てきたフレーズのようだった
当時『微分』とは「接線の傾きを求めるためのもの」
といった認識しかなかったが
前後の文脈も分からないまま 自分なりに考えた
人生には紆余曲折があり
自分の考えもその時々で変わっていく
当然のことながら この先どのような考え方を持つようになるのか
予想などできるはずもない
大切なのは「『今』自分はこのように考えている」
その瞬間その瞬間の考えを明確にしていくことなのではないか
というのがそのときの 私なりの答えだった
あれから40年の月日が流れたが
この歳になってくると
いつのまにか「人生を『積分』している」ように感じる
動画で見たのだが わが国の首相経験者が
「微分積分、今で言うと因数分解など、大人になって使った人など一人もいませんよ」
と言っていた
微分も積分もなく ブレずに同じ過ちを繰り返す
それはそれでいいのかもしれない
ただ いつから『微分積分』が『因数分解』になってしまったのだろうか?
人間というのは
どうでもいいことが どうしても気になるものである
ということで 今日はここまで
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