『任命行為』と『任命権』

KEATON2

2020年10月03日 12:15

【毒吐き注意】

日本学術会議の任命見送りが問題となっている。

「任命しなかった理由を明らかにせよ」との声もあるが、問題は『任命権の有無』であり、理由など求める必要もない。

そもそも条文上「〇〇が任命する」と規定されていても、常にその者が『任命権』を有しているとは限らない。その者が単に『任命行為』を行うことを定めているに過ぎない場合もある。

例えば、日本国憲法は次のように定めている。

第4条第1項
1 天皇は、この憲法に定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。

第6条
1 天皇は、国会の指名に基づいて、内閣総理大臣を任命する。
2 天皇は、内閣の指名に基づいて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。

天皇は国政に関する権能を有しないのであるから、内閣総理大臣や最高裁判所の長たる裁判官を任命する権限は有していない。故に、ここにいう「任命する」が、『任命行為』のみを意味しているのは明らかである。

日本学術会議法は1983年の改正で、それまでの「選挙」による会員の選出を「推薦制」に変更した。その際、選任の『権威付け』として「任命制」も導入されている。しかし、当時の国会審議では、この「任命制」が『任命権』を伴わない単なる『任命行為』であると言っている。

今回の件で、内閣法制局も内閣府からの問い合わせに対して追従したのだろう。官邸が官僚の人事権を掌握することがすべて悪いとは思わないが、忖度という名の弊害の方がまた露呈している。

「学術会議」の存在自体を議論するのも結構である。しかし、なぜこのタイミングで言い出すのか。平時からしっかり俎上にあげて議論しろ。最近この手の「火事場泥棒的」手法が流行っているのか。

「学者が現実とかけ離れた議論をしている」という者もいる。当たり前だ、それも含めて『学問』なんだから。現実に寄り添ってばかりで『相対性理論』が生まれたか‼ だから日本に本当の『学問の自由』が育たないんだ。

書いているうちに、だんだん腹が立ってきた。こういうのを「毒を吐く」というのだろう。

こんなの書いても誰も読まないし、昨夜の満月の話でも書けばよかったか。



ただ、これだけの大ごと、書かずにいたら己が廃る。



ということで、今日はここまで。







関連記事